ジョン・コルトレーン「A Love Supreme」
2016 SEP 13 0:00:56 am by 東 賢太郎
ジャズのスタジオ・アルバムは60年代あたりからレコード芸術となったようで、クラシック界でおきたことと平仄があってる。アートのムーヴメントとしてそうなった側面とステレオの登場など録音技術の進化を含めた制作側の事情がジャンルを超えてあったとしたら面白い。
レコード芸術の完成度でどかんとしたインパクトを与える。そこにクラシックもジャズもない。片っ端から聴いているが、中でもシンフォニー級の手ごたえを感じたのがこれだ。これはきいてるとクラシック耳になっちまう。
A Love Supreme
このツンときどった語順がいいね。A Supreme Loveだぜ、ただの英語は。キャラメルプリンが Crème caramel (クレム カラメール)になったら上等だみたいなもんも感じる。
4部構成の交響詩みたいだが主題の循環がある。クラシックじゃサックスはおまけの楽器だから耳新しい。呪文が聞こえたりティンパニが鳴ったり、重い。この重みがたまらなくいい。
マッコイ・タイナーはソロよりバックの方がいいな。4つの楽器がウエル・バランスの録音で定位して「アンサンブル」になってる。サックス左、ドラムス右、これレコード芸術だなあ。文句なくカッコいいアルバムだ。調べたらジャズの定盤らしい、なあんだいいの見っけたと思ったのに。
Yahoo、Googleからお入りの皆様
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
Categories:Jazz
Rook
9/13/2016 | 7:33 AM Permalink
精力的な東さんはやはりこれですか。ジャズがレコード芸術になったのは50年代半ばモダンジャズ隆盛の頃で、同時に録音技術はクラシックよりも先行し、1956年(私の生まれ年)になると格段に違っています。1964年録音の「至上の愛」、哲学的なコルトレーンの神に捧げた傑作と言われています。一方1963年に録音されたゲッツ/ジルベルトのイパネマの娘が大ヒットしボザノバブームだったことからも、彼が時代を先行していたことがよく伺えます。この後、彼はフリージャズへ旅立ってしまいます。彼の胸中の想いが抑えきれなく、どうしようもない必然だったのでしょう。残念ながら私は熱心な彼のリスナーではありませんが、想いは理解しています。
確かにタイトルは英語らしからぬ語順で、どちらかと言えば仏語的ですね。求道精神に満ちたアルバムに皮相的なマーケティングは要らないでしょうから、語感の問題なのでしょう。でも、その方がかっこよく、おっしゃる通り上等な印象を与るのも確かです。
ジャズの世界にもグールドがいます。と言うと語弊がありますが、高名なセロニアス・モンクです。初めて聴いたときは、何だこりゃ??と思いつつ、グールド同様、いつの間にか引き込まれてしまいました。マイルスが「自分のソロの最中はピアノを弾かないでくれ」と指示したと言う有名な話の通り、彼のコードはワン&オンリーです。ショスタコーヴィッチなどにも通じる、ちょっとおかしいんじゃないという類の音楽ですが、お聴きでしょうか? とは言え、とても馴染める曲が多く、Thelonious himself (solo, 1957)、Live In Stockholm (Quratet, 1961)を良く聴いています。1963年に東京TBSスタジオで収録された映像を見ると、弾いてないときは夢遊病者のように辺りをうろつき廻り、噂通りの奇人変人ぶりを発揮しています。初めて見たときは思わず笑ってしまいましたが、ユーモラスで憎めない人柄です。そんな奇行のさ中、何事もないかのようにサックスを吹き続けるチャーリー・ラウズも地味ながらこのカルテットを支えるキーマンです。モンクのピアノは上手いのか下手なのかという議論がかつて起こったくらい独特な彼のピアノ奏法ですが、要は上手い下手の問題ではない天才の音楽であることがこれを見て良くわかります。
東 賢太郎
9/14/2016 | 12:45 AM Permalink
詳しい解説をありがとうございます。ジャズという未知の森が目の前にあってわくわくします。クラシックもはじめはそうでしたが僕はうんちくや理屈よりも肌感覚優先ですし、コルトレーンも全部聞いたわけではぜんぜんないのですがこれは造ろうという意欲が面白いです。語られ細部まで吟味されることまで見越したというか、即興性と対極の世界がジャズにもあるんだというところですね。モンクもいくつか聞いてみましたが独特な密集和音とプログレッションや流れないリズムと、いろんな「いがらっぽさ」が第一印象でした。それらがいわば現代音楽的な方向に向かうべく使われるのでなく、オールドファッションな平明な生地に縫い込まれている感じが独特ですね。クラシックだとドビッシーがそれをしましたが挿入される非和声音はある意味でクラシック的にロジカルです。モンクは非常にイロジカルで、そこにどうしても耳が行ってしまうのと、正直のところその平明な生地の方がやや苦手でして、キース・ジャレットやビル・エヴァンスのようにすんなりとはいかないですね。これから聴きこんでみます。